映画『明け方の若者たち』 黒島結菜が参加する飲み会に呼んでくれ

就活内定ゲット!

勝ち組うぇーい!!

世界変えちゃおっかなー!!!

な飲み会から物語は始まる。

あまりそのノリに馴染めないでいた北村匠海(僕)が、同じくつまらさそうにしていた憂いのある美人 黒島結菜(彼女)に一目惚れして、、という展開。

 

・冒頭の飲み会シーンでつまづいた。飛び交う言葉がいわゆる意識高い系が好むもので、その痛々しさとかそこに馴染めない感覚に共感してほしいというのはわかるけど、色んなフレーズがはっきり聞こえるような音響演出はなんかわざとらしくて逆にリアリティがなかった。乾杯の音頭取るときも飲み会始まってからも、ここにいる人間がどういうテンションでこの飲み会に臨んでるのかがよくわからない。その空気感が感じられないから、散りばめられた意識高いワードが僕が馴染めないことをわかりやすくするための記号みたいに見えて嘘っぽかった。

考えてみたらここでの引っ掛かりがまあまあ尾を引いていた気がする。

 

・だから、こういう飲み会でつまんなさそうにしてる女子が特別に見えてしまうっていうのもテンプレだなーって思ったけど、黒島結菜が美しすぎてこれに関しては文句なし。しゃーないわ、北村くん。ハイネックニットというところがわかってるよね〜天才!となった。

 

・で、そのあとラッドの話で盛り上がって(こういうシチュが共感を呼ぶのかどうか個人的にはピンとこなかった)、彼女が帰らなくていいよアピールで僕の理性決壊。これは仕方ない。仕方ないよね、北村くん。たとえ相手が人妻だとわかっていてもね。わかったから余計なのか?

 

・まあそのあと働き始めてやりたいことと違う部署に配属されたりするけど、なんだかんだ彼女がいるから大丈夫!俺幸せ!って感じ。羨ましすぎてだんだん腹立ってきたな。

 

・で、たぶん大事なはずの明け方のシーンがやってくるわけだけど、ここもなぜかそこまで盛り上がらず・・・。空の色はこだわってただろうし映像がいまいちってわけではない。確かこの直前に、3人で呑みながら渋谷の電気を消してウンタラカンタラ、みたいな話をしてたと思う。会社でやりたいことをやらせてもらえない愚痴から始まって俺だったらこんな面白いこと思いつくぜ〜っていう痛々しい憂さ晴らし。別にそれが非現実的だとか社会をわかってないとか言うつもりはないし、寧ろそういう負け惜しみみたいな情けなさを友達とダラダラ明け方まで分け合ってたあの時間が尊いよねってのはわかる。けどこのシーンだけ見たらあの意識高い系の飲み会の焼き直しじゃんってなったし(もちろん同じではないけど)、ただやりたいことをやれてないだけで総じてわりと順風満帆な若者の薄っぺらい愚痴にしか聞こえなかった。じゃあ負け組の人たちは?って視点もないし。僕がどこまで真剣に今の自分に悩んでるのかがイマイチ伝わってこなかったなー。むしろ私なんかは「社会人無理だ〜社会不適合者だ〜」などと抜かしながら働くことに全く前向きではなかったし、そういう部分で人と共感し合って意識高い系を穿って見てしまうクズだったので、このシーンがどれくらい共感を呼んでいるのか本当に謎だった。

そんな気分で見てたから、うわーここで明け方やっちゃうのかーっていう感想しか出てこなかった。映像が良いだけに余計に嘘っぽさが目立っちゃった感じ。残念。

 

・ところでハンコの角度エピソードとか弱すぎない?!  会社で働きだしたら人間関係とか自分の能力とかもっと色んなことに悩むし、急にディテールだけ出されてもって感じ。わかる〜を呼び込もうとして変なことになってないかな。あのメンターの中山先輩ももっと何か絡んでくるのかと思ったらそうでもないし。指を切断したシーンでちょっと興奮したっていうのもどういう効果を狙ってるのかピンとこなかった。非日常に興奮することは普通だし、そのことでこの仕事向いてないって言わせるのはどういう理屈なのか。結局やめたい気持ちに踏ん切りがつかない状態を引きずってるから、何かと辞める理由を探してしまうってことならまだ納得の余地はあるけど、そう解釈させるには説明不足な気がする。

 

・あ、途中で彼女が実は人妻でしたってことが明かされるんですけど、まあ、はい。そうらしいです。だからといって上に書いたような見方が変わるわけでもなく。彼女と過ごした時間が制限つきの儚いものだって意味が変わる効果はあるけど。私は彼女の味方なので僕が喫茶店で彼女を泣かせちゃった時はブチ切れそうになりました。まあ彼女のサイドストーリーが「ある夜、彼女は明け方を想う」で描かれているそうなので、そのあたりを見るともう少しこのあたりの解像度が上がるのかな。

 

北村匠海がめっちゃキスしてめっちゃ腰振って初めて風俗に行って口でイかされたりするので、色んな北村匠海が見たい人にはおすすめ。あの風俗嬢に悩み打ち明けて泣いちゃうのも、え、それでいいの???って感じだったなあ。

 

とまあ文句ばっかりになるのでこのへんでおわり。考えてみたら文句言ってるところは全部原作小説の問題なのでは?って気もする。読んだことないしわからないけど。

最後の終わり方もここで終わるのかっていうちょっとあやふやな感じで消化不良感。。私の中では黒島結菜の悲しい泣き顔がクライマックスだったよ。

 

でも映像自体は統一感あって綺麗だったし何より美しい黒島結菜が見れたという点でこの映画は素晴らしかった。

ただ私が見たかった明け方や若者とは少しズレてしまってたかな

映画『成れの果て』 化粧の下には

荻原みのり目当てで鑑賞。

 

田舎の姉が結婚すると聞いて祝福したら、その相手がかつて自分をレイプした男だった、というなかなかきつい設定。

 

・とにかく小夜が可愛い。ファッションもヘアスタイルもどストライクだぜ。自分の気持ちに正直で他人に挑発的な態度を取る小夜。けど時々その鎧が剥がれて弱い部分が垣間見える。作中では誰も寄り添ってくれないので、自分がそばにいて抱きしめてあげたいという衝動に駆られる。……キモすぎる。

でもまあ、そんくらい萩原みのりの演技に入り込んでしまったわけです、はい。

 

・エイゴが実はメイキャップアーティストのゲイっていう外見とのギャップが用意されていたのはなんか浮いている気がした。張り詰めた不穏な空気を緩める役割は良いけど、他のシーンがあれだけ緊張感あったのにあそこだけギャグっぽくされても、という。小夜が布施野に仕向ける復讐を成立させるにはああいうキャラ造形が必要だったのかなとは思うけど。

 

・化粧がテーマの一つ。本心を隠して表面的な人付き合いをすることの隠喩。本心をむき出しにする小夜に引きずられるように他の人物の醜い感情が暴かれていく。メイク落とし小夜。

 

・初めて小夜と布施野が対面するシーンが印象的。勝手に幸せになっていくんだよ、はリアリティのあるセリフだった。布施野が犯罪者であることは動かしようのない事実ではあるけど、犯した罪への向き合い方に苦しむことに共感の余地はある。誰かを傷つけるということは自分も傷つけるということでもあるという単純な現実。だから共犯の先輩とその彼女がのうのうと土足でそこに踏み込もうとしたあのシーンは特別酷い嫌悪感を催した。あの二人の役者さんすごかったな。

 

・あすみが結局なぜ布施野と結婚するに至ったのか、は明示されなかった。あすみの最後の慟哭を見るに、誰にも見向きもされず自分に価値がないと感じることが彼女の幼い頃からのコンプレックスだったように受け取れる。上京してファッションデザイナーとしての道を歩む小夜のあの強さが彼女に劣等感を植え付けてきたことは想像に難くない。そんな彼女は布施野なら自分のものにできると考えたのかもしれない。田口智也の役(名前忘れた)があすみに近づくシーンであすみが激怒した背景には、その姿が布施野に近づいた自身の姿と重なったからでは、という気がした。

 

・まあつまり、あすみからすればレイプされたという事実さえ男から見た一定の価値を示すものじゃないかって思う気持ちがどっかにあったんじゃないかってこと。梅舟惟永が演じたあの姉の友人の存在も最初はあんまり腑に落ちなかったけど、自分の価値を男で図らざるを得なくなったって点であすみに似ている気はする。マッチングアプリをやったり田口智也とセックスしたりあすみと違って打算的で現実的な女って感じ。でも、あすみが田口智也を拒絶するあたりあすみの方がプライドは高いのかな。

 

・こうして考えると四人の女性はそれぞれ微妙に異なる位相で自己実現欲求に苦しんだ存在だったのかなあという気がする。あの先輩の彼女は容姿には自信があって小説家になろうとしてたけど典型的なワナビ止まりだったし。小夜と先輩彼女は二人とも自分がやりたいことで価値を示そうとしたけど、姉と姉の友人は男に求められることで価値を示そうとした。その価値基準の下地には男性の欲望の対象としてのヒエラルキーの意識がすごく強く根付いているように感じた。私も男なのでてめえが知ったような口をきくんじゃねえって話なんだけど。

 

・結局小夜と布施野がくっついてという終わり方も、まあなんかそうですか・・・っていう感じだった。被害者も加害者もスッピンでいられるのは当事者しかいないよねっていう答え、というかそれって判断の保留じゃない? 別に答えを出してほしいわけじゃないし見た人への問いかけなんだよ、って言われれりゃそれまでなんですけど、そこまで突き放された感じもしないというか。まあ塩梅の話でしかないので言っても詮無いですが。布施野が小夜のところに行ってしまうことが衝撃的な顛末として用意されて見えたのがなんか嫌だったのかな。