映画『成れの果て』 化粧の下には

荻原みのり目当てで鑑賞。

 

田舎の姉が結婚すると聞いて祝福したら、その相手がかつて自分をレイプした男だった、というなかなかきつい設定。

 

・とにかく小夜が可愛い。ファッションもヘアスタイルもどストライクだぜ。自分の気持ちに正直で他人に挑発的な態度を取る小夜。けど時々その鎧が剥がれて弱い部分が垣間見える。作中では誰も寄り添ってくれないので、自分がそばにいて抱きしめてあげたいという衝動に駆られる。……キモすぎる。

でもまあ、そんくらい萩原みのりの演技に入り込んでしまったわけです、はい。

 

・エイゴが実はメイキャップアーティストのゲイっていう外見とのギャップが用意されていたのはなんか浮いている気がした。張り詰めた不穏な空気を緩める役割は良いけど、他のシーンがあれだけ緊張感あったのにあそこだけギャグっぽくされても、という。小夜が布施野に仕向ける復讐を成立させるにはああいうキャラ造形が必要だったのかなとは思うけど。

 

・化粧がテーマの一つ。本心を隠して表面的な人付き合いをすることの隠喩。本心をむき出しにする小夜に引きずられるように他の人物の醜い感情が暴かれていく。メイク落とし小夜。

 

・初めて小夜と布施野が対面するシーンが印象的。勝手に幸せになっていくんだよ、はリアリティのあるセリフだった。布施野が犯罪者であることは動かしようのない事実ではあるけど、犯した罪への向き合い方に苦しむことに共感の余地はある。誰かを傷つけるということは自分も傷つけるということでもあるという単純な現実。だから共犯の先輩とその彼女がのうのうと土足でそこに踏み込もうとしたあのシーンは特別酷い嫌悪感を催した。あの二人の役者さんすごかったな。

 

・あすみが結局なぜ布施野と結婚するに至ったのか、は明示されなかった。あすみの最後の慟哭を見るに、誰にも見向きもされず自分に価値がないと感じることが彼女の幼い頃からのコンプレックスだったように受け取れる。上京してファッションデザイナーとしての道を歩む小夜のあの強さが彼女に劣等感を植え付けてきたことは想像に難くない。そんな彼女は布施野なら自分のものにできると考えたのかもしれない。田口智也の役(名前忘れた)があすみに近づくシーンであすみが激怒した背景には、その姿が布施野に近づいた自身の姿と重なったからでは、という気がした。

 

・まあつまり、あすみからすればレイプされたという事実さえ男から見た一定の価値を示すものじゃないかって思う気持ちがどっかにあったんじゃないかってこと。梅舟惟永が演じたあの姉の友人の存在も最初はあんまり腑に落ちなかったけど、自分の価値を男で図らざるを得なくなったって点であすみに似ている気はする。マッチングアプリをやったり田口智也とセックスしたりあすみと違って打算的で現実的な女って感じ。でも、あすみが田口智也を拒絶するあたりあすみの方がプライドは高いのかな。

 

・こうして考えると四人の女性はそれぞれ微妙に異なる位相で自己実現欲求に苦しんだ存在だったのかなあという気がする。あの先輩の彼女は容姿には自信があって小説家になろうとしてたけど典型的なワナビ止まりだったし。小夜と先輩彼女は二人とも自分がやりたいことで価値を示そうとしたけど、姉と姉の友人は男に求められることで価値を示そうとした。その価値基準の下地には男性の欲望の対象としてのヒエラルキーの意識がすごく強く根付いているように感じた。私も男なのでてめえが知ったような口をきくんじゃねえって話なんだけど。

 

・結局小夜と布施野がくっついてという終わり方も、まあなんかそうですか・・・っていう感じだった。被害者も加害者もスッピンでいられるのは当事者しかいないよねっていう答え、というかそれって判断の保留じゃない? 別に答えを出してほしいわけじゃないし見た人への問いかけなんだよ、って言われれりゃそれまでなんですけど、そこまで突き放された感じもしないというか。まあ塩梅の話でしかないので言っても詮無いですが。布施野が小夜のところに行ってしまうことが衝撃的な顛末として用意されて見えたのがなんか嫌だったのかな。